大判例

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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)3000号 判決

控訴人

近藤和雄

右訴訟代理人

渡辺泰彦

井上康一

被控訴人

株式会社寿建築研究所

右代表者

泉川博

右訴訟代理人

竹内桃太郎

外四名

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴会社は控訴人に対し金四六万七、一一二円を仮りに支払え。控訴人のその余の申請(当審において拡張された申請をも含む。)を却下する。

訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その四を控訴人とし、その余を被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一本件につきさらに審究した結果、当裁判所も、控訴人に対する一次解雇は無効であると判断する。そして、その理由は、左に附加するほか、原判決の説示理由(原判決二七枚目表二行目から三二枚目表一行目まで)と同一であるから、ここにこれを引用する。

(一)  被控訴会社のようないわゆる設計事務所において、建築設計なる高度に創造的な業務を限られた期間内に、しかも、所長以下一四、五名の小規模な組織で遂行するためには、相互の緊密な連繋と各人の協調性を必要とするという被控訴会社の業務の特質を考慮しても、なお、叙上の判断を左右することはできず、他に一次解雇の効力を肯認するに足る疎明はない。

(二)  なお、被控訴会社は、一次解雇の事由がたとえ就業規則所定の解雇理由に該らないとしても、それが控訴人との労働契約を解約するに足る相当の理由に該当することは明らかであるから、この点において、一次解雇はその効力を失うものではない、と主張する。しかし、被控訴会社の就業規則三〇条が解雇理由として、「①精神若しくは身体に障害があるとき、又は傷病のため勤務に堪えないとき。②業務に誠意なく技能不良なるもの。③会社の命令に反し、業務遂行上支障を生ずる行為をしたるとき。」と規定していること(この点は、成立に争いのない疎甲第二号証によつて疎明される。)に徴すれば、被控訴会社は、右の就業規則を制定することによつて自ら解雇権の行使を就業規則所定の理由がある場合にのみ限定したものであり、したがつて、その何れの場合にも該当しないことを理由としてなされた解雇は、たとえ民法六二七条等所定の解雇事由が存する場合においても、無効であると解すべきである。それ故、被控訴会社の右的憲は、その余の争点について判断を加わえるまでもなく、すでにこの点において失当たるを免かれない。

二ところで、一次解雇以後控訴人に前記就業規則三〇条二号及び三号所定の解雇理由が生じたとして、被控訴会社が昭和四八年四月七日、控訴人に対し、一次解雇が無効であるとすれば予備的に、同年五月七日をもつて解雇する旨の意思表示をしたことは、当事者間に争いがない。そこで、以下、予備的解雇の効力について判断することとする。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が一応認められる。すなわち、

控訴人は、建設関連産業労働組合の組合員であり、同組合は、昭和四六年三月一〇日建設関連産業に従事する労働者によつて結成されたいわゆる合同労組であるが、控訴人は、一次解雇が不当であるとして、組合支援のもとに、解雇撤回を闘いとるべく、昭和四七年七月七日泉川副所長に対して団体交渉を申し入れ、同月一〇日には書面をもつて解雇後も引続き就労する意思を表明するなどし、爾来いわゆる就労闘争を果敢に展開するに至つた。

まず、同月一四日目黒商連会館において開催された第一回団体交渉の席上、被控訴会社が一次解雇の理由として、控訴人が会社業務の遂行に熱意を欠き、また、協調性に欠ける旨を説明したが、控訴人は、組合員らとともに、その理由を具体的事実を挙げて詳細に説明するよう要求し、会社側の挙げる事実は悉くこれを否定し、「熱意がないとか、協調性に欠けるということは、結局、控訴人が残業をしないということに帰着するのではないか。」とか、「三六協定もないのに、会社が残業をさせること自体違法である。」等と攻撃し、速やかに解雇を撤回することを求めたが、双方の主張は、平行線のままに終り、会社側が次回の団体交渉を同月一八日開くことを約束することによつて散会した。ところが、その一八日、会社側の都合で団体交渉を開くことができなくなつたが、控訴人は、数名の組合員らとともに、同日午後六時半頃会社事務所に押しかけ、入口の扉に施錠してあるのをみるや、それに激昂して、口々に「開けろ。」、「団交しろ。」等とわめきたてながら数々の嫌がらせをして、約一時間にわたり、同所で執務していた岩瀬総務部長らの業務を妨害したほか、同月二〇日と二五日にも、組合員らとともに又は単独で、被控訴会社の事務所に立ち入り、執拗に業務の妨害行為を繰り返えした。その詳細は、原判決理由二の1ないし3(原判決三四枚目裏一一行目から三五枚目表八行目までと三五枚目裏二行目から三六枚目裏九行目までの)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

同月二二日、被控訴会社は、それまで控訴人から度重なる要求があつたので、正式に、一次解雇の理由につき、さきの団体交渉の席上で説明したようなことを具体的事例とともに列挙したうえで、「控訴人には全く反省の色がなく、将来改善の見込みもなく、右の事実は、就業規則三〇条二号、三号に該当すると認め解雇した。」旨を記載した「解雇理由書」と題する書面を組合宛に送付し、同月二六日開催された第二回団体交渉において、その記載の評価をめぐり、午後六時頃から午後一一時過ぎ頃まで討議が続けられたが、組合側は、その席上泉川副所長が争議を早期に解決したいと述べたことをとらえて、それを文書化するよう強く要求し、遂にそれが容れられないと知るや、組合側において起草した「泉川副所長は、争議の早期解決について努力する。尚、解決とは、組合員近藤和雄(控訴人)の解雇の撤回である。」との文言の記載のある「確認書」と題する書面を呈示して、それに押印するよう強く迫まり泉川副所長は、一旦それも断わつたが、最後には、右書面に「この確認書は、会社の意思決定を拘束するものではない。」と附記して、これに押印した。

同年八月二日目黒福祉センターにおいて第三回団体交渉が開かれたが、その冒頭、出席していた氏名不詳の組合員数名が、「組合員は誰でも団体交渉に出席でき、出席した者は当然に交渉委員となり得る。」という組合規約の建前えを理由に、次々と発言し、会社は、執行委員長に制止方を要請したが、その効果があがらなかつたので、直接、これら組合員に対して、その氏名を明らかにするよう要求した。ところが、さきの第二回団体交渉でも、同様に、組合員らに氏名の明示を求めたことで紛糾し、組合代表者二、三名が氏名を明らかにしただけで、約四〇分後、団体交渉に入つたという経緯もあつたことから、これら組合員らは、「この問題は、すでに解決ずみである。」、「何故いまさらそんなことをいい出すのか。」と会社側委員に喰つてかかつて、議場は騒然となり、会社側委員が「氏名不詳者の参加する団交には応じられない。」と言明して退場せんとするや、控訴人らは、実力でこれを阻止する挙に出る有様で、警官を導入することによつてようやくその場は事なきを得た。

このことがあつてから、被控訴会社は、控訴人らのいわゆる就労闘争に対しては爾後厳正に対処してゆくこととし、翌三日、控訴人と組合に対し、書面で、「(一)今後氏名不詳者の参加する団体交渉は一切拒否する。(二)泉川副所長は、前記確認書の趣旨に基づき控訴人の解雇撤回の方向で検討を重ねてきたが、控訴人に対する一般従業員の評価には極めて厳しいものがあるので、解雇を撤回することはできないとの結論に達した。右結論は、最早動かし難いものがあり、解雇撤回という方向での団体交渉は無意味であるので、速やかに法的手続に移行されるよう申し入れる。但し、いわゆる条件交渉には応ずる用意のあることを申し添える。(三)控訴人が就労闘争として会社事務所内で行なう言動は、会社の業務を妨害し、秩序を紊すばかりでなく、信用に及ぼす影響も大きく、会社として絶対に看過できないところであるから、本日以降、控訴人の会社事務所への立入りは厳重に禁止する。(四)なお、控訴人の問題については、その一切を第一協同法律事務所に委任したから、今後何らかの申入れ又は連絡事項があるときは、同事務所の竹内、宮本両弁護士の何れかにされたい。」旨を通告した。これに対し、控訴人は、同月七日、原審に本件仮処分申請をなし、翌八日、組合名義の書面をもつて、「(一)組合員の氏名明示の要求には応ずることができない。今後とも、団体交渉は、全組合員の参加する公開の場で行なう。(二)控訴人に対する一般従業員の評価が厳しいとは、事実無根のことであり、いわゆる条件交渉などに応ずる積りはなく、あくまでも、信念をもつて解雇撤回へ向けて闘う。(三)交渉の相手は、会社の当局者であつて、弁護士と交渉する意思はない。」旨反駁するとともに、十数名の組合員らとともに、会社事務所に押しかけて数々の嫌がらせをしたほか、同年一一月一四日に至るまで、前後一六回にわたり、不法侵入、業務妨害等の不法行為を執拗なまでに繰り返えした。その詳細は、原判決理由二の4ないし20(原判決三六枚目裏一〇行目から四二枚目裏二行目までの)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

その間、原審において本件仮処分申請事件の審理が始まり、裁判所の勧めもあつて、同年一〇月一九日(第四回)、同年一一月二八日(第五回)、同年一二月七日(第六回)、同月一五日(第七回)、同月二二日(第八回)及び翌昭和四八年一月一七日(第九回)と、いずれも、会社事務所以外の場所で、一次解雇撤回をめぐる団体交渉が開かれた。しかし、双方の主張は、その都度、平行線に終始し、事態の進展がみられなかつたので、被控訴会社は、第九回の団体交渉において、今後は状勢の変化がない限り団体交渉の要求には応じない旨を宣言した。ところが、控訴人ら組合側は、その後も強硬に交渉の再開を要求してやまなかつたので、被控訴会社は、同年三月七日、文書をもつて「同月一四日午後六時半から八時までの間、目黒福祉センターにおいて、双方出席者七名以内で、団体交渉を開催する。」旨を組合側に通知した。ところが、団体交渉の場所に関し、組合側は、貸事務所では時間的制約があつて思うほど交渉を続けることができないことから、かねてより交渉の場所を会社事務所とすることを強く要求していたが、今回も、会社が右のごとく組合側の要求を容れることなく、一方的に会社事務所以外の場所を指定してきたので、控訴人ら組合員は、会社側の措置にいたく憤激し、同日午後五時半頃、会社事務所に押しかけ、泉川副所長に抗議して団体交渉の場所を会社事務所に変更するよう要求した。しかし、会社側としては、事務所が僅か一〇二平方メートルの手狭まで従業員が残業をしていることもあつて、かつて正式の団体交渉が会社事務所で開かれた事実はなく、目黒福祉センターが過去二回にわたり団体交渉の場所として使用されたこともあり、また、控訴人が同日午後二時半頃会社に来た際、「通知は確かに受け取つた。」と述べたにとどまり、交渉の時間や場所については別段異議をとどめなかつたこともあつたので、組合側の右要求を拒絶するとともに、速やかに事務所から退去することを求めた。これに激怒した控訴人ら組合員は、泉川副所長、岩瀬総務部長、坂田設計室長らに対して種々暴行を加わえたほか、同月三〇日に至るまで、前後五回にわたり、不法侵入、暴行、業務妨害等の不法行為を繰り返えした。その詳細は、原判決理由二の21ないし25(原判決四二枚目裏三行目から四七枚目裏三行目までの)記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

以上の事実が一応認められ〈証拠判断略〉。

しかして、これら認定の諸事実とその経緯に徴すれば、控訴人の被控訴会社事務所への立入りは、一次解雇が前叙のごとく無効であり、控訴人にとつては承服し得ないものであつたとはいえ、もとより、それが被控訴会社により就業規則所定の解雇理由に該当するものとしてなされたものである以上、しかも、昭和四七年八月三日、正式に文書で立入禁止の通告がなされていたのであるから、少なくとも、それ以後においては、明らかに違法であるといわざるを得ない。控訴人は、それが就労請求権の行使であるとか、正当な組合活動のためであるとか強弁するけれども、控訴人の会社事務所内における言動が前叙のごとき嫌がらせや業務妨害等に終始したものであることからみて、控訴人の右主張は、就労請求権の存否の判断をまつまでもなく、採用に由ないものといわざるを得ない。

また、前叙認定に係る控訴人の嫌がらせや業務妨害についてみるのに、これらは、いずれも、不当な一次解雇を撤回させることを狙いとしてなされたものであり、一次解雇がなければこれらの行為もなかつたであろうという関係にあることは否定できない。しかも、泉川副所長が組合側の強い要求に屈して不本意ながらしたとはいえ、会社側の代表的な交渉委員の立場にあつた同人が、控訴人の解雇撤回に向けて努力する旨の確認書に押印したことにより、控訴人ら組合側に解雇の撤回について強い期待を懐かせるに至つたことも、推測に難くないところである。しかるに、それが、僅か八日後に、前日の団体交渉で組合員の氏名明示の問題をめぐつて警官導入の事態まで招いたことがあつたとはいえ、控訴人らの期待に反し、被控訴会社が「控訴人に対する一般従業員の評価に極めて厳しいものがある。」という理由で解雇の撤回はしない旨を組合側に通告し、以後その結論に固摯する挙に出たことが、控訴人らの会社に対する不信感を強め、その態度を一層硬化せしめる結果となつたことは、みやすいところである。そして、組合側が前叙のごとく氏名明示の要求に応じなかつたことについては、建設関連産業労働組合がいわゆる合同労組であつて、零細な企業に点在する労働者によつて構成されているため、大部分の組合員としては、組合加入の事実が明らかになれば、使用者からいわれなき不利益取扱いを受けることを虞れており、また、その前の団体交渉でも氏名明示の要求をめぐつて紛糾したが、結局、組合の代表者二、三の者が氏名を明らかにすることによつて納まつた事実のあることからみて、一応首肯し得るに足る理由があり、したがつてまた、控訴人らがその態度を硬化したことについても、必らずしも、非難し切れない点があるものといえるであろう。

しかし、それにしても、解雇撤回についての団体交渉がともかくも前後九回にわたつて聞かれ、問題点は、出尽され、ただ、解雇撤回という要求事項に関する双方の主張が相反する状態になつていたのであるし、しかも、当時、控訴人は、一次解雇の効力を争つて本件仮処分を申請し、すでにその審理も始まつていたのであるから、団体交渉によつては相手方が解雇撤回に応じない以上、たとえその応じないことが不当であると認められる場合においても、自己の要求を相手方に強要するがごときことは、断じて許されず、裁判所の判断をまつよりほかはないのである。しかるに、控訴人らは、被控訴会社が交渉の相手方として指定してきた弁護士との交渉をことさら避け、執拗に泉川副所長に解雇の撤回又はそのための団体交渉の再開を迫まり、単独で又は組合員らとともに、前叙認定に係る数々の嫌がらせや業務妨害を繰り返えし、殊に、昭和四八年三月一四日と同月二二日におけるがごとき暴力沙汰に及んだことは、控訴人が主張するごとく団体交渉とか正当な組合活動などといえるようなものではなく、団体交渉で実現し得なかつた解雇撤回を、組合の権利行使に藉口した多数の威力と暴力とによつて勝ち取らんとするものに外ならず、その違法性は、まことに顕著であるというべきである。なお、〈証拠〉によれば、その際、控訴人が顔面に全治四日間の打撲傷を、また、矢久保書記長が左下腿部に全治五日間の擦過傷を負つたほか、矢久保の背広の両袖の一部が破損したことの疎明があるが、そのことは、叙上の判断に影響を及ぼすものではない。なお、控訴人は、前記の暴力行為は被控訴会社の先制攻撃に対する正当防衛であると主張するが、本件に現われた全疎明をもつてしても、控訴会社の先制攻撃を肯認するに足りないので、控訴人の右抗弁は、所詮、排斥を免かれない。また、控訴人の不当労働行為の主張も、控訴人らの前叙認定に係る行為が右説示のごとく正当な組合活動とは到底認められないものである以上、採用の限りでない。

叙上の説示理由によつて明らかなごとく、控訴人の度重なる被控訴会社事務所への立入りと会社職制に対する数々の暴行、業務妨害等の行為は、被控訴会社の就業規則三〇条三号所定の解雇理由たる「会社の命令に反し、業務遂行上支障を生ずる行為をした」ものに該当するといわざるを得ない。もつとも、これらの行為は、すべて一次解雇後になされたものであり、その間、被控訴会社が一次解雇は有効であるとして控訴人の就労を拒否してきたことは、いうまでもない。しかし、右就業規則の規定は、多分に、職場秩序を維持するための懲罰的性質を有するものであるから、単に就労を前提とする業務命令に違反した場合のみならず、就労を前提とすることなく専ら職場秩序の維持を目的とする命令に違反した場合をも含むものと解するのが相当である。したがつて、予備的解雇の理由となつた前記各行為が一次解雇後に生じたものであるという事実は、予備的解雇に対して右就業規則の規定を適用することの妨げとはならない。

それ故、予備的解雇は有効であり、控訴人は、予備的解雇により昭和四八年五月七日をもつて被控訴会社の従業員たる地位を失なつたものといわなければならない。〈以下、省略〉

(渡部吉隆 柳沢千昭 浅香恒久)

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